【インタビュー】Qaijff、乳がん宣告から闘病、事実婚発表。激動の1年から生まれた音楽への想い

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今夏、約5年ぶりとなるワンマンライブツアー<誇れ2024>を開催することが決定したQaijff。

約1年前の2023年春には、森彩乃(Vo, Pf, Syn)が乳がんを宣告された。あまりに突然の事態で、本人はもちろん、リーダーの内田旭彦(B, Cho, Syn)にとっても、それがショッキングなものであったことは想像に難くない。

しかし、それでも2人は歩みを止めず、楽曲制作を中心に活動を続けてきた。そして、長きにわたる過酷な治療、勇気を出して決断した手術の末、このたび本格的なライブ活動再開を図る。

今回はQaijffの現状を伺うべく、森と内田にロングインタビューを実施。その模様を2回に分けてお届けする。前編では、病気のことをはじめ、抗がん剤治療をしながら完成させた新曲「サニーサイド」、2人の事実婚発表などについて、じっくりと話を聞いた。

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■置かれているシチュエーションによって、音楽は響き方が違うんだなと。身をもって感じました

──こうやってまたお話を聞けて嬉しいです。正直いろんなことがありすぎて、心配してましたから。

森:ですよね。なんでかわからないけど、バンドのストーリーとして思いがけずドラマチックになってしまいがちというか(笑)。

内田:かなり激動の日々だったので、話したいことがたくさんあります。

──以前のインタビューでも、レコード会社と事務所をやめて独立した件など、ディープな話を伺いましたけど、森さんが乳がんを患ったというのは、そういったこととはまた別次元の苦しい経験だったと思います。ファンの方も気になっているはずなので、まずは今の体調面について聞かせてください。

森:2024年4月1日(※取材日)現在の私は、おかげさまでめちゃめちゃ元気です。2日前の3月30日には、Qaijffが初期からお世話になっているZIP-FM主催の野外イベント(名古屋・鶴舞公園で開催された<ZIP OHANAMI STATION supported by CUBAN SANDWICH FESTIVAL>)でもいいパフォーマンスができて、自分たちの中ではこの出演を決めたタイミングで「ライブを完全復活させよう!」と舵を切りました。

内田:併せて、7月から行なうワンマンツアーの開催も決めた感じですね。心配しないでもらいたいのは、無理にライブ活動を再開させるわけではなく、お医者さんとしっかり相談した上での判断になります。ありがたいことに、森の状態はそのくらい順調に回復していて。

森:去年やっていた治療の影響から、指先の痺れがほんの少し残ってるだけで、ピアノを弾くのに支障はないです。

──ただ、抗がん剤治療は今後も続くんですよね? なんか問診みたいな感じですみません。

森:あはははは(笑)。そう、あと約半年は続いて、3週間に1回の点滴治療があります。だけど、現段階の抗がん剤は副作用がぜんぜん出ないことが確認できてるので、ライブが問題なくやれるコンディションなんですよ。

──それを聞いて安心しました。元気になって本当によかったですね。森さんが乳がんを告知されたのが、今から約1年前のことで。

内田:1年前の今日、2023年4月1日に、約4年ぶりとなる東京でのワンマンライブ(<Qaijff one-man live“十一”>@青山月見ル君想フ)をやったんですけど、まさにその直前だったよね?

森:うん。3月29日に乳がんのステージ2であると診断されて、そんな中で臨んだライブだったんです。でも、私たちとしては心配する目で観てほしくなかった。ひさしぶりの東京ワンマンを純粋に楽しんでもらいたかったので、あのときはファンのみなさんをはじめ、サポートドラムの深谷(雄一)さん、ゲストで出てくれたサックスの佐藤(祐紀)くん、バンドのスタッフにさえも病気のことは言ってませんでした。


──そうだったんですか。

森:あの空間で自分以外に知っていたのは、東京まで観に来てくれた私の母と弟、内田だけでした。いろんな感情が渦巻いていたライブだったけど、どうにかこうにか乗り切ることができて。

内田:精神的にも思うところがたくさんある、これまでにないライブでしたね。その後は森の乳がんとがっつり向き合う日々がスタートして、しばらく大変な状況が続いたんですが、ようやくここまで戻ってこられました。

──よく1年でこんなに回復されたなと思いますよ。

森:髪もまた生えてきてくれてよかったです。

内田:厳しい治療の時期を送る一方で、2023年は8月と9月に名古屋グランパスのイベントに呼んでいただいたんです(※Qaijffは現在9シーズン連続で名古屋グランパスのオフィシャルサポートソングを務めている)。2〜3曲の演奏だったんですけど、それでもお客さんの前に立てたのは大きかったかな。「ライブに対する熱が自分たちの中で消えてしまわないように」という想いで出演を決めた部分もあったので。

森:病み上がりというか、病み中ではあったけど、短時間でもグランパスのイベントに出演させてもらえたことはありがたかったですね。やっぱりライブって「生きてるなあ!」とすごく実感できる場だし、そういった経験も相まって、思ったよりも早く復活できた気がします。



──ここ1年のQaijffを振り返っていけたらと思うんですけど、乳がんが判明した頃の話も聞かせてもらえますか?

森:2023年の2月に自宅で筋トレをしていたとき、右胸の異変に気づいたのが最初ですね。それで病院に通うことになり、検査を立て続けに受ける日々が始まっていくんですけど、東京ワンマンライブのリハを並行してやっていたから、その時期はけっこう複雑な心境だったかも。乳がんと確定されるまで、モヤモヤを抱えたまま準備しなきゃいけない感じでした。

──それはキツそうですね。

森:でも、逆にワンマンのおかげで「音楽に集中しなきゃ!」と思えたので、救いになったところもありました。ライブの予定がなかったら、私はずっと病気のことばかりを考えちゃったはずだし、そっちのほうが絶対につらかっただろうなって。

内田:僕は感情が追いついてなかったというか、必死すぎて記憶がちょっと飛んでるんです。あまりに突然のことだった上、最悪のケースも含め、いろいろと大きな判断を即座にしなきゃいけなかったから。「Qaijffの活動を完全に休止するのか」「東京でのワンマンをやりたいけどやれるのか」とか。もし乳がんだったとしたら、「直前で中止にしなきゃいけないのか」「ライブをやれるとして、ステージで病気の事実を言うべきなのか」「発表するなら、どのタイミングがベストなのか」「そもそも無事に治るのか」とか、森に付き添いながら、さまざまな可能性をめまぐるしく思い描いてました。

──そして、ライブ直前に乳がんであることが明らかになり。

森:検査段階のお医者さんの反応でなんとなく予感はしていたとはいえ、間違いなく乳がんだとわかったときは、もちろんショックだったし、発覚当初はたくさん泣いていましたね。私の母と内田も泣いてるのを見て、さらに涙が出てしまうような状況だったんですけど、ライブは迫ってるわけじゃないですか。

──はい。

森:4月中旬まで決まっていた2本のライブはやり切りたくて、病院の先生と相談してOKをもらいました。乳がんの確定はもちろん悲しかったけれど、受け入れる覚悟もしていたので、ワンマンをキャンセルせずに済んだことに関しては、ひとまずよかったという感じで。

内田:2人とも普通のメンタルじゃなかったですけど、予定どおりやって大丈夫という許可はいただけて、ライブの日を迎えた形ですね。

──東京ワンマン当日の覚えていることなどは?

内田:「もしかしたら、Qaijffのワンマンライブはこの先しばらくできないのかもしれない」ということも頭にあったから、すべての瞬間、一曲一曲を大切に過ごそうみたいな気持ちが強かったです。いつも以上に噛み締めて演奏しました。

森:本番前は「ちゃんと歌えるのか」という不安もあったんですけど、ステージに立ってみたら、わりと普段どおりの夢中な自分がいたんですよね。ただ、ものすごく今の私に響いちゃう歌詞もあったり。

──たとえば、どんな曲が?

森:「たぎってしかたないわ」は、冒頭から“やめらんない たまんない これだから人生はおもしろい”と来て、“どんなもんか知らないまま死ねない”“ここじゃ終われないや”と歌っていたりもして、逆境にある自分を鼓舞してくれるかのように感じましたね。

──“死ねない”とか、ダイレクトすぎますよね。

森:そうそう。「これを今の状況で歌っちゃうんだ、私!」と思いながら。自分たちの曲なのに、歌詞でグッとくる瞬間はいくつかあって、そこだけは乳がんのことが浮かびましたね。「meaning of me」の“生きてることに意味が欲しい”も、「Wonderful Life」の“何度も何度も何度もはじまる”も、病気になって歌うとやけに刺さってしまって。





──「meaning of me」や「Wonderful Life」を、以前からそういう視点で聴いていた方もきっといるんだろうなと思います。

内田:ああ、確かに。曲を作ったときは、そこまで直接的に生死をイメージできていたわけではなかったですけど。

森:置かれているシチュエーションによって、音楽は響き方が違うんだなと。身をもって感じましたね。

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